自分の頭で考えよう
著名な人のよくある言葉として、「自分の頭で考えよう」という具合のものがある。
これは賢い、あるいは素養がある人間にとってはそうすべき金言だろう。
もしタイトルの言葉を見て、心を打たれて実行してみよう、と思うのは勝手だ。
しかし、不毛な土地からは何も生まれないように、不毛な知性からは傑出したものなど出てこようがない。
大体の場合は、俗にいうレールに乗った人生を完璧に乗りこなす方が豊かに終われる。
つまり、はるかに賢い人々に協力してもらった方が絶対にいい結果が出る。
だけれども、人生にサポーターこそいれど、プレーヤーは己だけだ。
血を吐いてでも自分自身が賢くなって、自分の頭で考えて妥当な行動がとれるようになれば、賢い連中が考えた搾取も含まれる人生から少しは遠ざかれるだろう。
そこで、まずは自分の腐れた知性をほんの少しでもましにする方法を、独断と偏見で考えてみたい。
私が思うに、最初の一歩としてはテレビばかり見ている人はほかのメディアを、ネットばかりしている人はそのほかのメディアを眺めるところから始まる。これがスタートラインの一つだと思う。
ネット、新聞、ラジオ、テレビ…ありとあらゆる媒体では多くの主義主張が錯綜としている。
そして、それらの主義主張は往々にしてポジショントークである。義侠心でやっているのではなく、彼らはあくまで金儲けや他の思惑があって発信をしているのだ。
(そんなことはない。と言う人はGoogleで2ちゃんねる、朝日新聞、あるいは朝日放送、で検索すれば彼らがいかに言いたいことを言うだけの木偶か、いかに公平とはいいがたいか、がわかってもらえる)
実際、新聞だけとっても朝日、毎日、産経、赤旗などでも、同じ事柄でも解説から主張まで異なっているはずだ。
一つの情報源だけを妄信すると、そのメディアの思惑に染まってしまう確率が高くなる。(昨今のテレビ番組では、日本凄い、ジャパンイズクール、と日本賛美がすさまじかった記憶がある)
すると、視野が狭くなるうえに、それを土台として見当違いなことを考え実行する恐れがある。
なので、まずはメディアとの付き合い方を変える、もっと言えばお付き合いするメディアの比重を変える、これを最初の一歩として行動することが、俗にいう「自分で考える」のスタートラインになるのではなかろうか。
(それこそがメディアリテラシーだとも思うが、そんなことをちゃんと言っている自称メディア人は何人いるかな)
次の記事は、これに関してもう少し突っ込んだ話か、別のスタートラインについて触れてみたい。