ポリティカル・コレクトネスとLGBTと田舎者
アメリカでは過激な発言を繰り返してきたトランプが次期大統領に内定したことにより、様々な影響が表れ始めている。
かたやトランプデモ、かたやマイノリティに対する暴行など、例を挙げればキリがない。
Twitterでは、ポリティカル・コレクトネス(以下PC)の敗北、など多様な表現がなされているらしい。
これについての私見を挙げていきたい。
そもそも、ド田舎のマックジョブしか仕事もねえ低学歴しかいられないどちゃクソ環境死ね、という表現もレズゲイバイトランスみんなキモイ、という表現もPCの観点では両方とも相応しくない。
Wikiからの一部引用させてもらうと、PCとは「政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語」とのことである。
田舎も全部まとめると数が多くなるが、日本でいえば鳥取とか島根単体になると間違いなくマイノリティな立場となる。
今回のアメリカの選挙は、田舎者とLGBTというマイノリティ同士のぶつかり合いでもあったのでは、と分析したい。
田舎者が宗教的、あるいは本能的にLGBTを拒み、そんなLGBTは都会に住まい田舎を否定する。
そもそもこの争いは、どの弱者こそが先に救われるべきか、という形での戦いだったのだろう。
結果として、田舎者、あるいは中間層自身、あるいは中間層に対して理解ある人々がトランプに投票して勝利しただけだ。
より弱者である田舎者を救済するべきだ、となっただけでマイノリティ同士の争いが終わったわけではないのだ。
今回の選挙を鑑みるに、単純なマイノリティに対する理解を求めるだけではおそらくダメだろう。どちらのマイノリティを救出してやる方が旨味があるか、を吟味しなければならない時代となる。